この時期にまつわるあんなことやこんなことをひとつ。

誕生日間近なこの時期。

あまりいいことがない。そう昔から。

ガラスの10代な頃、今でも気持ちの壊れやすさはガラス並かそれ以下ですが(笑)
彼女がいるとこの時期に必ずといっていいほど振られた。

原因?わかりません。
街がクリスマス一色になり、世間は盛り上がっていくのに反比例して自分の気持ちは冷めていくってことが多かったかな。

思い出といえば、小さい頃に誕生日にケーキが食べられたってこととプレゼントはクリスマスを兼ねていたってこと。

あとは誕生日当日にこたつを出すことが多かったかな。
よし、誕生日だしこたつ入ってぬくぬくするべかってな感じで。

悪いことばっかりじゃないんだけど、強烈なインパクトがあったのは一人で過ごしたほうで。
いつしかこの時期にたいした期待を抱かなくなった。

むしろ避けるようになったかな。
世間が作り出す盛り上がりにほいほい乗るのもどうだかなってのもあったし。
何より冷めていたほうが何もないのが当然って思えるから。

けど今年は、期待しててって言われて期待してみてます。
何が起きるのか、詳細はまったく流れてこないんですが。

で、この時期がやってきてなんとなく関係は良くなくなっているような気がして。

そんなこともあって過去の嫌な思い出がよぎってきましたよっと。

人にSOSの信号出すのも苦手だし、っていうかどうやって出すの?ってな感じだし。
過去にとらわれていても何も変わりはしないんだけどね。

あ、年越しの思い出は結構ある。
中学の頃、野郎3人でチャリで初詣に行って、戻ってから何故か人生ゲームで盛り上がったこととか。
あとは友人家族と一緒に大人数で温泉に行って、飲んで歌って騒いで、テレビのチャンネル争奪戦とかね。

今年はどうなるのかな。

今は怖さと楽しみが同居した感じです。
認められなくても
信用されなくても
バカだと思っても

やるときゃやる、否定されてもね。

やり方がたくさんあろうが
他に楽な方法があろうが

それしか知らない?
それしかできない?

それ全部正解。

それしかできないからそれしか知らないから

まさにそれをやるだけ。

これでダメなら・・・
ダメだったら・・・

ダメじゃないと信じます。

行くぜ、自信持って行けるところまでいったる。

#本音は結構怖い

実験

2005年9月28日 連載
お腹が空いたらスニッカーズ。

聞いたことのある人は多いことでしょう。
そこで実験。

お腹が空いたらスニッカーズ。食べたらその後どうなるのか?

お昼。
多少お腹が空いたときにおもむろにスニッカーズを開ける。
パッケージにはピーナッツぎっしり!の文字が躍る。
これは期待大でしょう。そして緊張の一瞬・・・

一口食べる。

あ、あめえええええええええええええええ
なんだこりゃ?ピーナッツは???

中に入っていたのはピーナッツバター?ピーナッツジャムっていうの?
あんなねっとりしたものが入ってました。
何がどうこうってよりもね、奥さん、甘すぎるんですよ!

そしてピーナッツはほとんど入ってない。

そんな食感を堪能しました。

結果:一口で気分が悪くなる。

ええ、もうお腹が空いたらスニッカーズですよ。
これさえ食べれば空腹などどこへやら。

スニッカーズ、それは甘すぎる危険な誘惑。
素人にはおすすめできない禁断の食べ物。

甘過ぎるくらいのものが好きと言う方は一度お試しあれ。

言葉とはつまり

2005年9月15日 連載
さっきシャワーを浴びながらふと考えが横切った。

横切っただけにそんなに時間が経ってる訳でもないのにすでに忘れ気味なんだけど。

あ、そうだ。
寂しくない人なんていない。寂しいってことを自覚できたときに寂しくなくなる一歩が開けるんだ。ってなぜかそんなことが頭をよぎって。

でもこれだけじゃわかんない。なにそれ?意味わかんないじゃないですか。
なんていうか高校のときの数学、笑っちゃうくらい成績悪かったんだけど、もう名前にしか丸つけるところないぞって先生に言われちゃうくらい。

で、その数学の証明問題とかあるじゃん?
それの途中の式を省いて答えだけ書いてあるみたいなね。

なので勝手に頭にわいた言葉の証明をはじめてみました。
頭をゴシゴシ洗ったりしながら考えてたことなので、ホント1日中考えたとか、考えてるとき何も手につかないほど悩みましたってわけじゃないので、屁理屈かもしれませんけど勘弁してね(笑)

寂しいって事を知らない人はいないはずなんだよ。
で、寂しかったことがないって人もほとんどいないと思う。

極論を言うと寂しいって言葉の意味を知ってるんだから寂しいってのがどういうことか知らん人はいないだろってことです。

喜怒哀楽同じようにさ、うれしいにしろ悲しい、楽しいとかその気持ちになったことがあるから使えるんじゃないかって思うわけですよ。

俺はね、人を嫌いになったりとかってないんだよってたまーに聞くんだけど、嫌いになってるその状態を知ってるからこそ嫌いにならないってことが言えるはずだと。

で、嫌いな状態がどういうことかを知っていて、なおかつ嫌いって状態にならないためにどう(行動、考え)すればいいかも知ってるからこうなるんじゃないかってね。

そういう意味で状態を認めることからそうならない方法を知ることができるんじゃないかと思うんすよ。

寂しいと判断する(認める)→寂しいという経験になる→寂しいと感じなくなる→寂しくなくなったとき何があったかを知る→寂しさから抜けだす方法として経験する

こんな感じで。

あとは知らなければ言葉自体使えないなって思ったり。
語彙があるなしに関係なく、その気持ちとか情緒とか味わわなければ言葉になんてできないじゃん?

裏を返せば、誰しもが持つ気持ちだったりするから言葉になってるんだよね。
誰もが知ってる→言葉として使われるようになる

だからきっといろんな気持ちが複雑に混じっちゃってどう表現したらいいかわからない、ある意味ドリンクバーのジュース全部混ぜちゃったぜみたいな気持ちだと表現しようがないんだと思います。

あ、でもコーヒーの味はするね!とかその中のいくつかを拾い上げるみたいなことはできるけどね。

で、結局ここまで書いてみて思ったのは、数学が苦手なだけあって、何を証明するんだったかすっかり忘れて書いてるってことです(つД`)

でも、なんとなくわかるよね。素直に認めた時から次の道が開けるみたいな、そんな感じ。

逆説的に言えば認めない限り次のステップに進まないともいえるし。

とりあえず考えかたの道筋は人それぞれだとは思うけど、個人的にはこんな混沌と雑然とした証明の中でそれっぽい答えめいたものがあったりします。

ここまで読んでそうじゃないだろ、とか自分はこうだなってのがあればやっぱりこれも聞いてみたいですね。

そういうのを他に見たり書いたりした方がいれば教えてくださいませ。

最近こんな締め方ばっかり(笑)
世の中には、やれ携帯電話だ、パソコンさえあればメッセンジャーだ、ライブカメラだなんだと、電話かそれ以上の音質持ってる会話ツールなんかがあります。

すっごい技術だなぁ、これじゃ人と会わなくてもいいよねなんて思ったりもしてしまいそうですが、なんかいくら技術が発達してコミュニケーション手段が多様化してもどれだけリアルに近づけても、実際の生の人と触れ合うって事にはかなわない。

これだけは自分の中での絶対的事実。
むしろリアルに近づけば近づくほど何か足りない感が加速して妙に寂しくなったりね。

そんな自分の中の真理があるので昨日からライブを満喫するぜって事になりました。

やっぱり近くに存在を感じて過ごせる時間ってのはいいものだね。
安心感があって、やっぱりコミュニケーションを支援するツールにないものってこの存在感なんだなって思った。

きっと上でも自分で書いたけど、結局は支援するツールであって代用するものじゃないんだろうなと。

今できる、声(音)、映像、文字なんかに加えてこの先きっと更に触覚を刺激できるものとか、映像もさらに立体的になったりとかいろいろ出るんだろうけど、それってどうなんだろう?

個人的にはリアルに近づけば近づくほど、なんていうかその、ある意味本物なんだけど、そっくりさんな感じがどんどん漂ってきてしまうんじゃないかと思います。

かと言って技術を否定するわけじゃないけどね。
言いたいのは支援するツールだ、寂しさとか物理的に足りない時間とか距離とかを補うものなんじゃないかなってことです。

ライブってものを全身で感じながら、そんなこと考えてました。
まだまだ言葉足らずで、読んだ人にうまく伝わるかわからないけど、ほかに意見とかがあれば聞いてみたい気がします。

闇を切り裂け

2005年9月8日 連載
今まではすごいってことが日常化して当たり前になり。
今までは当然のように我慢できていたことができなくなる。

少し弱くなったのかな?って思うけどそうじゃない。

気持ちが、思いが強くなったんだよ。
依存が加速して思いやりに溢れているだけ。
悪いこっちゃない。

身を刺すような不安だって、言ってみれば思いの強さを裏付けるひとつの事実でしかないんだよ。

昨日の気持ちは今日に継承されて明日に期待を寄せて思いを馳せる。

過ぎた日の心のかさぶたは、今日はまだ苦い思い出なのかもしれないけど、月日を重ねるうちに根本を成す教訓に変わるだろう。

混沌とした毎日の中でも
根本を支える教訓の数々が、絡まった糸をほぐすように
ひとつひとつの解決へ導くだろう。

だから悩んでも後退するわけじゃない。
学んで前に進んでるだけ。

何が大事かさえわかっていれば迷う必要はないんだよ。

大丈夫

2005年8月31日 連載
んー
ひがみとか、嫉妬とか
そんな感情がもぐらたたきみたいに
出たり引っ込んだりして
それを全部メールで垂れ流しちゃうから
なんだかわからなくなるんだよね。
読む側がなんて思うのか。
後で後悔するならなんで改善できないのか。
改善のない反省はまだ反省って行動が
半分もできてことなのかもしれない。

君はそんな上下する気持ちに
付き合って暗くなることないよ。
君は君なんだから。
君は誰が好き?
幸せになりたい?
この問いに答えられるなら
迷うことはないんだよ。
君のそばには
きっと大事な人がついてる。

World Of World

2005年8月29日 連載
世界、たいそうな意味を含んでそうな言葉だね。

辞書をひいてみた。うわ・・・意味が9個くらいある・・・
もはや扱えるシロモノじゃないよなぁなんて思って意味をさらっと見てみてなんとなく見つけた共通点。

自分的に世界って言葉を置き換えると「存在」みたいなものになるのかなぁ。
存在:そこにあるもの、あること
物事すべてみたいな意味かな。

世界地図に載ってる世界。
音楽の世界。
自分の目で見る世界。
妄想の世界。
想像の世界。

同じ世界だけど意味が異なったりで。
逆説的にも言うよね。
音のない世界。
これって今の世界から音の存在のみを取り去った世界みたいなもんだと解釈する。

で、何が言いたいって、世界ってのは広いのさ。
それが地球を指す世界であろうが、自分の頭の中だろうが。
で、いろいろ自分の知らない世界ってのもあるわけでね。
夏休み恒例のあなたの知らない世界だって世界なんだよね。
怖いからあんまり見ないけど。

そんな広すぎてともすれば辟易としてしまいそうな世界だけど
ただひとつ言えることはさ、個人に限れば自分の世界が事実なんだよ。

目で見て聞いて匂いを嗅いで。そこに存在するもの。
自分の世界が絶対的な真実でさ、尊重すべき他人の世界ももちろんあるんだけど、それに振り回される必要はないんですよってことで。

最近、大事な人が、いろいろな世界に振り回されている気がして、自分の持っている世界に自信とか確信が持てなくなってる気がして。

そうじゃなくて別物なんですよって言いたくなった。

昨日目で見て肌で感じた世界。これって絶対的な事実。
そこにあった空間とかね、思いとか全部ひっくるめて世界なんですよ。

何かをぶつけられて迷ったり悩んだりするときはさ、他人の世界も大事だけど、まずは自分の世界ってのを曲げずにいられればいいんでないかと思います。

君の世界は誰のものでもなくて自分のものだから。
自信持ってね。

そして、そんな傷つきやすい世界を守ろうとしてる人もいるんだってことも忘れないでください。

先週確かにそこにあった、そこにいた世界も、昨日の花火みたいな短い時間も全部真実だからね。

大丈夫だよ。

言葉

2005年8月29日 連載
言葉は気持ちを隠すためにあるんじゃない。
気持ちを素直に表すためにあるんだよ。
いいことがあればうれしい、楽しい。
だけど、いいときがすべてじゃない。
沈んでるときは寂しい、悲しいって言っていいんだよ。

そんなもんだよ、言葉なんて。難しいことはないわけです。

鍵のついた扉

2005年8月26日 連載
ちょっと小難しい話なんですが。

最近過去の苦い経験とか、自分に対する自信のなさで苦しんでる人がいます。

何かのはずみ(音、言葉、空気とか)で何か薄暗いものに包まれる感じ?なんでしょうか。

きっと普段心にかけている鍵があって、何かのはずみで鍵がほどけてしまうんじゃないかなって思います。

できることなら代わってあげるとか一緒に味わったりとかしてあげたいんですが、それは無理なことなので、自分にできることは話を聞くこととそのことについて勉強するくらいだと思いちょこちょこ調べたり。

話を聞くといってもいたずらに苦い記憶を掘り起こすのもどうかと思い、まず調べてみました。
治すきっかけでも掴めればっていうのが本音ですが、専門医でもないのでどうなんだろう。

聞いている話の範囲で、こういったところかなっていうものをあちこちピックアップ。
トラウマとかの類になるのかなぁ、でもどうなんだろう。
こんな要因でこういう風になった例がありますよみたいなものを読んでみる。

心の外傷とはよく言ったものだね。
すごーく簡単に言うと自分や他人を信頼できないときに起きる心のストレスとか、何かの刺激で過去の経験が戻ったりで起きるみたい。

その刺激とかが起きないようにすればいいのか?って思いがよぎったけど、突発的に起きることにどう対応すればいいかが見えない。

で、ひとつだけこれは試してみようかな?ってのを見つけました。
医者じゃないから効くのかどうかわからないけど、何か少しでも快方に向かってくれたらいいなぁ。

早く良くなるといいね。
いつでも手伝うのでゆっくり頑張っていこう!

ありがとう運動

2005年8月12日 連載
なんとなく感じたことなんだけど、申し訳ないなって恐縮する気持ちと、ありがたいって感謝する気持ちってすごく密接だと思う。
誰かに優しくされたとき、うれしい、ありがとうって気持ちと、なんかこんなことしてもらって悪いなっていうか恐縮だなって気持ちが同居するじゃない?

きっとそれはきっと自然な感情で、当たり前のことなんだよね。
だけど、何かした側としてはどうなんだろう?
人に優しくしてあげたときに、こんなにさせて申し訳ないねって言われる(思われる)ことと、うわぁありがとう、うれしいよ!って言われるのはどっちがうれしいものだろう?

個人的には後者かなって思う。
誰かに優しくするのは、その人が好きだったり気に入ってたり、尊敬してたりっていう風に要するに好意を持ってすることじゃないですか?
だとすればやっぱり言われてうれしいのは「ありがとう」だったりするよね。

って普通に考えたら当たり前の結論なのに、それでもこんなにさせてすいませんみたいな気持ちを持つのは何故なんだろうね。
余計な苦労をかけたり気を使わせたりしてるって思うから?

難しいことなのかもしれないけど、第三者的に考えてみると好きでしてあげたことで、申し訳ないって思われたりすると、お節介したかな?って逆にまた気を使わせたりすると思うわけですよ。

だったら、された側は言いづらいことなのかもしれないけどありがとうって言うべきだよね。

言われたほうもうれしいし、言った方も感謝の気持ちがあるし、恩返ししようって気も生まれるし。

普通に生活してて両方の立場にたつことがあって、された側はその状況にもよるけど、悪いなぁなんて思っちゃうとなかなかありがとうって言えなかったりするけど、やっぱり言うべきだよね。
自分でグダグダ書いて結論が出てしまってるから(笑)

いい感じの循環で、いいことがループするようにこれからはありがとう運動を展開したいと思います(笑)

とりとめがないけど、こんなことを感じた昼下がり。

約束

2005年7月23日 連載
生きてるといろいろな約束をします。
仕事なんかだと約束させられるってこともありますが(笑)

プライベートでする約束。個人的にあまり約束ってしないほうなんですが、決意を秘めたとき、絶対守るって思ったときに約束をします。

今回果たす約束。
自分でも念願のって感じかなぁ。ずっとこうしたいって思ってたこと。
今回あるプレゼントをするって約束を果たすために出かけたんですが、個人的にはその先に秘める約束もあったりします。

今回渡したもの、身に付けるもの。
込めた気持ちは、この先もずっと幸せにしてあげたいって思い。
それじゃなんか奉仕してるだけ?って思われるかもしれないけど、相手が幸せだったら自分も幸せだと思うわけです。

人が喜ぶ顔見てるとなんだか自分もうれしくなっちゃうじゃないですか。

あんまり堂々と書いてるのもものすごく照れくさいんですが、そんな意味をこめて渡しました。

自分の中に生まれたダンコたる決意ってやつの象徴かな。

本人を目の前にしてそこまでは恥ずかしくて言えなかったけど、言わなくてもこれからの行動なんかで示していければいいなって思ってます。

言うのは簡単。やるのは難解。頑張ります。

想像

2005年7月7日 連載
今日のアホ創造。

車を運転してたときの話。
対向車線から来るハイビームの軽自動車。
いや、まぶしかったっすよ。ホント迷惑です(涙)
そんな軽い怒りを持ちつつ、誰が運転してんだよって思って見たら、じいさんが運転してたわけで。そこからなんとなく想像開始。

何故ハイビームなのか?
・気付いてない
・以前ハイビームにしたままでそれ以来ずっとそのまま
・ハイビームが老後の趣味
・ウォッシャー液を出そうとしたときに間違えた
・目立ちたい
・気付かれたい
・注意されたい
・注意したいまどき珍しいイカした若者に遺産を渡そうと思ってる

待ってくれじいさん!ハイビームになってますよ〜!
想像が妄想になり最後はその気になってましたーー;

でも正解はなんなんでしょうね〜。
誰もが想像すら出来ないようなことが理由だったらおもしろいな〜なんて考えてしまいます。

っていうか普段からこんなアホなことを考えているわけです(´-`)

涙の理由

2005年6月30日 連載
本日未明、あるカミングアウトを受けました。

きっと今まで心の奥にしまいこんでいたこと。
それは思い出さないようにすること、そして楽しければ楽しいほど自分の首を締め付け苦しむであろうこと。

優しすぎることは、時に深く自分を傷つけることなのかもしれないね。
時折見せていた、悲しそうな感じはきっと葛藤の中で生まれる苦しみだったのでしょう。

でもね、詳しくわからなくても気付いていたよ。
ずっと何かに苦しんでいたこと。
深い闇の中でじっと我慢していたこと。

ずっと待っていた。その闇を見せてくれる日。
わからなければ、対策も何も打つことは出来ないから。

残念なことに、その闇をすぐに切り裂くことはできないと思う。
けどね、もう一人で闇の中にいることはないから。
2人なら何とかできるかもしれない。

前に進むには避けて通れない道なら、手探りでも進むしかないよね。
やっと何か始まったような気がします。

言う勇気を出してくれてありがとう。

気持ちはかわりません。
俺はどこにも行かないですよ。

あなたのその人を思いやる気持ち、大好きです。
まいど見ていただきありがとうございます。

なんていうか、バタバタしたりとかやることがいっぱいだよ、どうしよう・・・みたいなときににどうされてます?

自分の場合こういう風にしますよってのを紹介したいと思って書き始めたわけなんですが。
あちこちでよく言われてることで、これといって斬新さはないです・・・

簡単に説明すると、まずやることひとつひとつに優先順位を決めます。

決め方にポイントがあって
1.重要度が高いか低いか
2.緊急度が高いか低いか

これをまとめるわけです。
まとめると4種類に分類されて

1.重要度→高、緊急度→高
2.重要度→高、緊急度→低
3.重要度→低、緊急度→高
4.重要度→低、緊急度→低

というふうになります。

やることがいっぱいある場合には1→4の順番に片付けていきます。

極端に集中するときは「1」に該当するものだけやって終わるときもあります。
この場合3は他の人に任せてしまったり、断ったり。
最初はこれがうまくできなくて、目が回る〜なんて思いながらやって苦しんでました(笑)

まだまだこの区分けもうまくできるわけじゃないし、うまくさばけるわけではないですが、「大事なものが何か」っていうのを意識するようになりました。

まずは大事なものから。大事です。はい。
あとはどうでもいい?ものを断る勇気ですかねぇ・・・これがなかなか・・・難しいっす・゜・(つД`)・゜・

光明

2005年6月25日 連載
先が見えない、この先どうしたらいいかわからないような暗い気持ちに包まれてしまったこと、ありますか?

経験あるよって人ならわかると思いますが、つらいものですよね。
「もう少しで光は見えるから!」「明けない夜はないよ」
なんて言葉を頂いたりするわけですが、そのときってのはやっぱりいつまで耐えればいいかわからない不安でどうしようもなくなってしまいますよね。

でも、光は突然差し込んでくる。
それまでの暗闇を忘れるほど強く、明るく。

そして暗闇の中で得た経験は、その時から自分の教訓だったり強さになって自分の価値を高めてくれると思っています。

つい最近まで暗闇の中でひっそり佇んでいました。
どうしてこうなったかわけもわからず、光も見えずひたすら自問自答を繰り返してくすぶっている自分と対話する生活。

他人に弱みを見せることを極度に嫌う性格で、多分時には自分さえ欺くように強がって過ごす日々。

そんな中でいくつかのことに気付き、いくつかの決断が出来ました。

大事なものが何か、誰か
会社を辞める決断

どっちが先かはよくわからないんですが、ほぼ同時だった気がします。

ホント突然決めたことだったんですが、行動に移してみたときに光が差し込んだような気がします。

ここまで来るのに多くの時間を使ってしまった気がするけど後悔はなく、むしろ清々しさを感じられるようになりました。

決断をする勇気ときっかけをくれた人には感謝してもしきれません。

今まで自分との対話や悩んでくすぶった時間は強さに姿を変えて光の射すほうへ進む原動力になると思います。

ありがとう。
次は自分が目印の光を出すことができるようになれたらいいと思います。

ん〜まだまだかなぁ・・・頑張ります。
眠気が襲って来た時に素直に話しを始めるってのはなかなかほほえましいよね。
お酒が入ってぶっちゃけトーク炸裂するのと似てるかもしれない。

どっちにしても脳のストッパーみたいなものの監視が甘くなるのかもしれないですね。

それはさておき・・・
人間関係ってのは難しいものです。

理想を言ってしまえば、会う人関係する人みんなと仲良くやっていけたらいいんですが、そうも行きませんよね。

もちろん仲良くやっていくための努力は怠らないとして、なかなか自分の言葉が相手に届かないことが多々あるんじゃないかと思うんですよ。

個人的には
1.相手の言葉を聞き取る、理解するための努力
2.相手に自分の言葉(の本意)を伝える努力

あたりを頑張っているつもりなんですが、なかなかうまくいかず凹むことも多々あります。

もっとうまく伝えられたら、もっと理解できれば誤解することが減るはずなのにて思うからこんなことしてるわけなんですが。

でも、知ってみてもダメなときもあるのかなぁって歳を重ねて思うようになりました。
目指すものや目的、目標の向きがまるで違う場合

例えば、北に行きたいAさんと南に行きたいBさんがいます。
で、Bさんは「Aさんと一緒に」南に行きたいとして。
北に向かうAさんにはBさんのお願いが聞けないじゃないですか。

極論かもしれないんですが、求めるものが違う相手に無理やり合わせることをしてしまうとそこに摩擦が生じるんだと思います。

つまり何が言いたいかというと、意見がどうしても合わないなら、無理に合わせないほうがいい場合もあるんじゃないかと思うわけですよ。

昔、会社の上司に言われたことがあります。
「どうしても根本的なところで意見が合わないなら、不満をぶつけるよりは袂を分かつのも一つの手だよ」と。

平行線になるような議論よりもはっきり別な方向へお互い尊重して行けるならそれもアリだよねってその当時思いました。

何かを捨てるっていう思いもあるだろうけど、モヤモヤしたままよりもいいですもんね。

自分にとって何が大事なのかっていうのがハッキリすれば、こんな決断もできるんじゃないかなってことで。

何かに迷っているときに、こんな考えもあるんだって少しだけ頭の隅にでも留める価値のある考えだったら幸いです。

なんだかタイトルと合わない文章になってしまいましたがこの辺で^^;

準備は「心の準備」みたいな意味ってことで。

Take It Easy

2005年6月24日 連載
気楽に行こうぜ!ってな意味のタイトルなんですが。
かつて英語の偏差値が地下室並に低かった私が覚えてる数少ない英文です(笑)

今、相方はプライベートで正念場を迎えていてきっといろいろな思いが交錯して迷ったり、傷ついたりしてると思うんですよ。

個人的にも何か手伝ってあげられたらなって思うんだけど、なかなか思いつかず・・・こんなインターネットの片隅で頑張れって応援するくらいです・・・

とても心が優しい人なので、きっと自分ばかりが楽しかったりすることに疑問を感じちゃったりすると思うんですよね。

けど、それは違うよ。
やっと笑えるようになったんだもんさ、ここまで来るのにいっぱい悩んで考えて苦しんで、涙流してきたの知ってるから。

迷っちゃダメだよ。

とても泣き虫でよくベソかいてるけど、次の涙はうれし涙でいいんじゃないかと思う。

もし、変な流れに飲まれてしまいそうになるなら、いつでも助けに行くから。
それは今まで散々救われてきた俺にとってのささやかな恩返しです。

もう1人で頑張らなくてもいいからさ、これからは2人で気楽に行こうよって意味でこんなタイトルにしてみました。

#なんで助けたくなるかって考えたんだけど、それはきっと君が頑張る人だからだよ。

ネタがないよ〜

2005年6月20日 連載
なんだか最近日記ちっくな読み物ばっかりで、連載ものを全然書いてないことに気づいたΣ

っていうか書いてないんじゃなくてネタがないんですよ(つД`)

何か面白いことがあるといいんだけど。

もしかしたら明日、突然遠出するかもしれない!って思うとワクワクしてくるくらいで(笑)

とりあえずなんだろう。
そのうち文章にできるようだったら、言動と心理の動きとその関係についてでも書いてみたいんだけど。

難しいこと書いてるようだけど、なんていうかこれってAさんがBさんにある話をする(情報を出す)ことでBさんの心の動きとそれによってするであろう行動を予測するみたいなことなんだけど。

もっと簡単に言うと、会話のやり取りと答えのタイミング、声の調子、目の動き、などなど見たり聞いたりしてると相手の考えてることはわかりやすくなりますよ!みたいな意味です(笑)

あーでもなんかまとめづらそう;;
めずらしく3連投です。

好きな人っていますか?
嫌いな人っていますか?

個人的には嫌いな人ってほとんどいないんです。

嫌い=どうでもいいに置き換えるとわりといるんですけどね。

毎日欠かさず読んでいるブログに「毎回くどくど言いたくないときにどうするか」が書いてあったんです。

1.「連絡頂戴よ〜」とさり気なく言ってみる
2.連絡が来るのをひたすら待つ
3.不平不満を思い切りぶちまける
4.色々な手段で反応を見る。

こんあ選択肢がのっかっていて(無断転載失礼しました)

個人的には1→2→4の順番で実践するかなぁなんて思いました。

しかし!
これをするのは上で書いた要するに好きな人に対してだけだな〜なんて思ったりもして。

どうでもいい人に対してはそもそも何もしない自分がいる気がしました(笑)
仕事上の付き合いなら別ですけど、2回以上言えるのは好きな人(期待してる人)に対してだけかな〜

考えて工夫して、何か反応があったらうれしいですから(笑)

職場では、もういいやとアテにするのをやめて全部一人でやってしまったことが何度もあります・・・

コツはあきらめないでやってみること、なんでしょうかね(笑)

これを読んだ方どう思われますか?(笑)

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